読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

現代日本で聖書を読む意味

希死念慮持ち。内容は個人的解釈です。気持ちに余裕がある時に更新します。

”人それぞれに生き方がある。” コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章6節、7節

”人それぞれに生き方がある。”
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章6節、7節
 (使徒パウロと兄弟ソステネからコリントの信徒へ宛てた手紙)

7:6以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
7:7わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。 (別訳:人それぞれに生き方があります。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんにちは。
今日は、「共通道徳」という概念について書きたいと思います。

一言で言うと、ある特定の地域の人々が、大まかに共通して持っている道徳観の事です。
この「共通道徳」があると、道徳観について、ある程度一定の理解を持って話し合うことができます。また、共通道徳は、教典や礼拝などの文化の中で育まれるものが多いので、共通の話題としても機能します。
「共通道徳」は、それぞれの文化圏の宗教によって育まれるものと言い換えることもできると思います。

もちろん、同じ「共通道徳」のコミュニティ内にも様々な考え方の人がいますが、極端に言ってしまうと、「共通道徳」があれば、目の前の人がなんの行動原則で動いているか、推し量りやすいということです。

日本では、その「共通道徳」が、斉藤学さんの言をお借りすると、"世間様”だったのだと思います。
「周りから奇異の目で見られることをするな」
「周りからはみ出さず”普通”でいろ」
「周りと違う行動する奴は理解できない」
「周りと合わせてさえいれば、安定安心だ。だからはみ出す奴らは無視、排斥してもよい」
こういった考え方が、かつては、あったのだと思います。


何故、「かつて」なのかと言いますと、最近はそうでない方々が増えてきていると感じるからです。
やはり年齢が高い方に、かつての価値観を保守している方が多いですが、僕の周りの人々でも、UM(Union of Minimalist)やブログで出会った人びとは、多様性を寛容に受け止める能力に長けていらっしゃいます。
それは、裏を返せば、ひとりひとりが自分の心からの価値観と選択を大切にしたいと思っており、相手の心を尊重することが当然だと思えているからではないでしょうか。

これまでに、なんらかの画一的な生き方を押し付けてきていた人は、”周り(世間様)”が正しいと言ってきた通りに生きてきた結果、自分の生き方に納得、満足できず、他者をも同じ道に押し込めることで、自己を正当化したかったのではないでしょうか。
僕は、"世間様”教は大多数を不幸にする宗教だと思います。

”周り”ばかりを見ることは止めて、今こそ自分の内面、心から思うことは何か、を聞いてみてはいかがでしょうか。

今、アメリカでは、下記のツイートのように「トランプがイスラム教徒締め出しを行うなら、キリスト教徒であっても、イスラム教徒として登録して反対を表明するべきではないか」という議論があるそうです。映画「沈黙ーサイレンス」の、教理か、愛する人を助くか、というテーマと似たものを感じます。僕はまごうことなく後者だと思っています。

https://twitter.com/ChristianPost/status/824767655907360768

また、その州の宗教的指導者が、性的マイノリティを認めないが為に、悩んで自殺した17歳のリーラーさんという女性がいます。
「教理」が、「愛する人を大切にする」ことよりも大切だとは思えません。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/14998/20150107/transgender-teenageer-suicide.htm

日本には、幸か不幸か、強力な共通道徳はまだありません。
あなたも今、これから先1年でも2年でも、10年でも生きるつもりなら、自分が本当に何がしたいか、自分の内面を見つめてみるのもよいのではないでしょうか。


祈り
主よ、アメリカでもイギリスでも日本でも、不寛容の発露が見られるようです。今もまた、マザーテレサジョージ・ブッシュ元大統領とサダム・フセイン元大統領に送った手紙を覚えます。。「わたくしは目に涙をため、心に神の愛を持って、貧しい人、および皆が恐れている戦争がいったん起こったならば貧しくなる人びとのために、懇願いたします。(中略)神はわたくしたちが憎悪によって破壊されるためではなく、神の愛によって愛されるために生まれました。(中略)どうぞ平和の道を選択してください。」(「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい」p514-516より引用)。
どうぞ、憎み合うのではなく、平和の道をお示し続けください。悲しみのあるところに喜びを、闇のあるところにあなたの光を置いてください。主の御名によって、マザーとともに懇願いたします。アーメン(そのようでありますように)。