現代日本で聖書を読む意味

希死念慮持ち。内容は個人的解釈です。気持ちに余裕がある時に更新します。

久しぶりの勤労 / 生きる”基準”

 

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こんにちは。
久しぶりに8時間働いてきました。
疲れたので今日は短く書きます。

美しい景色の中で、優しさを持ったオーナーご夫妻に仕事を教えていただくのは、楽しかったです。

けれどやはり、引きずってる「外部評価恐怖症」の存在も再度認知しました。
他者から評価されること、評価される状況に、異常に怯えてしまう。
そんな必要はないとわかっていてもそうなので、まあ精神的な病状なのでしょう。
物心ついた時から、そういった性質は持っていましたが、以前の仕事中に、なかなか強化されてしまったようです。

はじめは失敗するもの。
冷たくされたかも、と思っても大抵の場合そんなことはない。
自分を身の丈以上に良く見せようとしない。(これ何気に一番むずかしいです...。)
そして身の丈どおりの、小さな自分を受け入れ、仲良くして、楽しく過ごす。

結構疲れてしまったのは、外部評価恐怖症に起因するところが、かなり大きいです。
でも仕事の後、「つかれたしんどい」ってなっているときにも僕は、”親愛の下僕”であることに救われます。
(生きる基準の話)

「私たちは何を基準に生きているでしょう。「正義」「愛」「利益」など色々あると思いますが、いずれにせよ私たちはその基準の「下僕」なのです。ですから何を基準に生きるかはとても大切です。」
上馬キリスト教会さんTwitterアカウントから

胸に提げたテゼのクロスに手を当てて、人の思いを超えた存在、また親友達からの”親愛”を確認することが、理性と、心でできます。
僕の見ているこの世界で、それ以上に価値のあることは、多分、ないんじゃないかと思います。


追伸:
最近、「Life walk いのちの行進」という、まるで日本版テゼ(あらゆる信仰を超えた集い)のような活動が京都であることを知りました。
仏教を中心としたあらゆる宗教者が、「いのち」について考え、提言していく取り組みです。
2017/3/1にあるようで、可能であれば参加したいと思っています。

peraichi.com