死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

”神を見た者はいない。私達が互いに大切にし合うことで神の愛が顕れるのではないか” / 「予告編」ぼくのりりっくのぼうよみ

こんにちは。

今回は、「予告編 / ぼくのりりっくのぼうよみ」という曲の歌詞を紹介いたします。

生き方、希死念慮の感覚についての歌詞とも取れるもので、共感しつつ考えさせられました。

また純粋に、曲が好きで最近ループして聞いているので、ご紹介したいと思って選びました。

 

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予告編 ぼくのりりっくのぼうよみ

 

昔からこの世界が

誰かが脚本を書いてる映画

みたいに思ってた

決められた線路をごろごろ進んでく

与えられた役割をこなすだけの毎日

生きるために生きる なんて退屈で意味が無い

だからぼくらキリがない 答え求め知りたがる

その先に何も無いと 実は気付きながら

 

もう言葉の紡ぎ方も分からないよ

何を歌えば 何を歌えばいい?

「それすらも言葉にすればいい」皮肉的メタ構造

意味不明な言葉に救われるの?

いずれ来たる救いに手を伸ばす 皮肉的メタ構造

 

何も変わらない同じ明日を

降り続く雨が塗り潰して

 

いっそ狂えたら楽になれるよ

またこうして僕は勘違う

 

ああ、ふざけた言葉じゃ

搔き消せない思いが

胸の中虚ろに響き渡る1人の夜

 

例えば 望みがなんでも叶うなら

一生満たされたままでいられるのかな

必要なのは何 power? color?

器には何を入れればいい?

訊いてばっかじゃ嫌われちゃうなぁ

少しは自分で考えてみるよ

あの時の傷も役に立ちそうだ

 

回らない地球に幕降ろそうか

ひたすら募る後悔 やあどうも

今回もまた駄目でした

これは何周目なんだろう

繰り返しに頭をやられました

for what? これを失いました

ひとまず今回これでおしまい

 

次回作にご期待下さい!

 

何も変わらない同じ明日を

降り続く雨が塗り潰して

 

いっそ狂えたら楽になれるよ

またこうして僕は勘違う

 

ああ、ふざけた言葉じゃ

搔き消せない思いが

胸の中虚ろに響き渡りまだ消えぬまま

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「生きるために生きる なんて退屈で意味が無い
だからぼくらキリがない 答え求め知りたがる
その先に何も無いと 実は気付きながら」

 

生きる意味に明快な答えなんてない。つまり、正解がない以上何も無い(とも言える)。

でもそう気づきながらでも”生きるために生きる”には人生は長すぎる。

その時その時の自分にとって、価値がある、と信じられる価値観によって、その時信じられる”生きる意味”を見出して生きるしかないのかな、と思います。

  僕にとっては、趣味の楽しさや、意義あること、価値あることをできたという喜び、暖かい繋がりを愉しむことなのかなと思っています。

 

「いっそ狂えたら楽になれるよ

またこうして僕は勘違う

 

ああ、ふざけた言葉じゃ

搔き消せない思いが

胸の中虚ろに響き渡る1人の夜」

 

いっそ狂えたら(人生の意味も何も考えなくて済む、考える苦しみから解放されるから)楽になれる。

でもそれは、”生きる意味を持って、充足感を持って生きたい”の裏返しなのかもしれません。

胸の中虚ろに(心も身体も生かしたいという声が)響き渡る1人の夜。

こうしなきゃいけない、こうするのが普通だ、幸せだ(とされていること)に惑わされず、自分自身の心の健康、身体の健康を大切にすることを、行動基準とすることが大切なのではないでしょうか。

”世間様”は自分を幸せにしてくれるものではありません。むしろ逆です。

 

 

 

 

「例えば 望みがなんでも叶うなら

一生満たされたままでいられるのかな

必要なのは何 power? color?

器には何を入れればいい?

訊いてばっかじゃ嫌われちゃうなぁ

少しは自分で考えてみるよ

あの時の傷も役に立ちそうだ」

 

例えば望みがなんでも叶うなら、

”全ての人に「互いに尊敬する心を与え すべての人の益となることを求めさせてください」

「体・心・霊において苦しむすべての人々を慰め癒し その困難」を取り去ってください”

と望むと思います。(祈祷書の代祷の部分から引用)

そのことによって、私自身も生きやすく、親愛を多く感じて生きていくことができると思うからです。

しかし、どう作用するかわからない僕の望みをなんでも叶えてくれることはないので、自分で考えますと、

この望みのために必要なのは、「理解力、多様性への寛容、客観視する力、それぞれの苦しみはそれぞれに”苦しみ”であることを忘れずにいること」などだと考えています。

また、それらはpower(理解するための思考力)でもあり、color(個性・違いを認めること)でもあると思います。

 

「あの時の傷」(おそらくすべての人がいつか受ける傷)ー親愛なる人の死、裏切り、自分の思いが無下にされる悲しさ、人間が行う不条理、自然が行う不条理、無理解に囲まれるつらさ、等々。

そういう経験が良いものであるとは思いません。

減らしていきたいことだと思います。

しかし、そういったものは、苦しむ人や、似た立場にある人の気持ちを想像する手助けにはなり得ると思います。

 

 

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残念ながら、今回ご紹介した「予告編」はyoutubeに音源がないので、同じアルバムの「be noble」のMVを下記に貼っておきます。

www.youtube.com

 

 

聖書引用

「”神を見た者はいない。私達が互いに大切にし合うことで神の愛が顕れるのではないか”

新約聖書 ヨハネの第一の手紙4章11,12節

4:11
愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」

 

 

祈り

私が、この生の中で、目に見えるモノよりも目に見えないものに目を注ぎ、価値を見出していることができますように。

まず私自身があなたによって慰められ、理解され、愛されることによって、他者に慰められるよりも慰め、理解されるよりも理解し、愛されるよりも愛する者となることができますように。