死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

"慈悲深い者となれ"

"慈悲深い者となれ"

ルカによる福音書6章31から36節

 

6:31[編集]

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

6:32[編集]

自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

6:33[編集]

自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。

6:34[編集]

また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

6:35[編集]

しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

6:36[編集]

あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

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私はこの箇所を読む時、「情けは人の為ならず(情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ)」ということわざを思い起こします。

敵を愛すことはむずかしいことだと思います。いつもそうすることはとてもできず、時には距離を置くことも、お互いの平安のためによいこともまたあるのではないでしょうか。

それでも、自分を愛してくれる人を愛し、よくしてくれる人によくすることを充分おこなっていくことで、そうでないひとびとにも暖かく接する余裕を持つことができるのではないでしょうか。

苦難にひたすら耐え忍ぶ必要はないと思います。まず自分の心を大切にし、身近にいる大切な人の心を大切にし、それから繋がる人々に波及させていく。そうすることで、慈悲(暖かい人と人との繋がり)を乗数のように増やしていくことができるのではないか、と思います。

そのようでありますように。