死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

”あなたがたはわたしの友である” ヨハネによる福音書15章11節から15節

”あなたがたはわたしの友である”

ヨハネによる福音書15章11節から15節(口語訳)

15:11
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14
あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15
わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。

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こんにちは。

今日の聖書箇所は、ヨハネによる福音書15章11節から15節です。

この箇所には、2点解釈できることがあると思います。

1点は、キリスト教の重要な戒めのひとつは「互いに愛し合いなさい」であるということ。実は、キリスト教において最も肝要な掟はたった2つなのです。それは、「神(平和)を愛しなさい」「神があなたを愛されたように自分を愛し、隣人(あらゆる人)を愛し、互いに愛し合いなさい」というものです。(私の解釈ですが。)

愛(思いやり、人との暖かい繋がり、平和)の大切さを説いているのです。

そして、その事を踏まえてここから解釈できるもう1点のことは、キリスト自身が「あなたがたはわたしの友である」と仰っていることです。神とされる者が、人間を僕でなく、友として見てくださっているのです。

であれば、何故人が人を僕(主人に絶対服従させられる者、奴隷)にすることが許されるでしょうか。

最近の、東電、三菱を代表する長時間労働の問題は、現代の奴隷であるといえるのではないでしょうか。逆らうことができないのをよいことに、人間的に生きることを妨げ、長時間労働させ、心を奪い正常な判断力をも奪う。そんなことが許されていいはずはありません。

この聖書箇所を私なりに解釈すると以下のようになります。

「人は、神と自分と隣人を愛し、命をなげうっても惜しくないと思えるほどの友を求めて、思いと言葉と行動を行いなさい。そうすることで、あなたの内に、神がいてくださり、大きな喜びが与えられるでしょう。」

 

祈り

天におられる私たちの父よ。今この瞬間にも、悩み苦しみ悲しみを抱えている人が多くいます。彼らと共にあり、彼らの心を助けてください。アシジのフランシスの平和の祈りと呼ばれる祈りを捧げます。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。

この祈りをわたしたちの主、イエス・キリストの名によって御前にお捧げ致します。アーメン(そのとおりでありますように。)