死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

「目指すべき人物像」 ルカによる福音書6章35節から38節

「目指す人物像」

ルカによる福音書6章35節から38節

 

6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

6:36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

6:37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。

6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

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こんにちは。

今日は、キリスト教が「目指すべき人物像」として掲げているものの一つをご紹介します。今回も、私なりの解釈をお話していこうと思います。

 

「6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」

 

この部分における、「報い」は、死後の平安のことを指す、と言われているのではないかと思います。しかし私は、その事と同時に、「天の宝(人との暖かい繋がり、心が満たされること)」もまた、「報い」ではないか、と考えています。

また、この時代には、「異教徒は敵」というような発想もありました。ですので、「敵を愛せ」は、自分とは人種、文化、信仰、考え方、性別、生き方、の異なる人々に対しても、敬意を持って接せよ、ということではないかと思います。

つまり、自分と意見の合わない人にも、敬意を持って接することで「天の宝」を報いとして得る、という捉え方もできる部分だと思います。

 

「6:36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」

 

キリスト教では、聖書の中で「慈悲深い者」となることを奨励しています。

 

最近の出来事で言うと、トランプ次期大統領もキリスト教徒かと思いますが、以下に挙げるミシェル・オバマさん(オバマ大統領夫人)のような演説を、道は異なっても、トランプさんもしてくれることを祈りたいです。何故なら、彼女の演説は「"慈悲深く"、"寛容さ(ゆるし)"を人々に求め、アメリカに住むすべての人々に価値、居場所を"与える"」ような演説であったからです。

ハフィントンポストから、引用します。全米各地の高校で活動するスクールカウンセラーを表彰するスクールカウンセラーズ・オブ・ザ・イヤー」での演説です。

 

・ミシェル・オバマさん ホワイトハウス最後の演説から引用

「ここにいるみんな(スクールカウンセラーの方々)は、そうした子供たちに、自分たちは重要な存在なんだということを教えます。自分たちにも与えられるものがあると伝えます。生まれた場所、親の資力、外見、好きなもの、宗教、家で使う言語に関係なく、彼らはこの国に居場所があるのです。

ホワイトハウスでの生活を終えるにあたって、ファーストレディとして最後の公式の発言ですから、若者たちへ送るメッセージが一番ふさわしいと思っています。ですから、この部屋にいる、またはテレビを見ている若者のみなさん、この国はあなた方のものだということを知ってください。背景や人生の歩みに関係なく、あなた方みなさんのものです。あなたやご両親が移民なら、あなたは誇り高きアメリカの伝統の一部です。新しい文化、才能や発想が代々溶け合って、私たちは地上で最も偉大な国になったのです。

あなたの家族が貧しいとしましょう。覚えていてほしいのですが、この国の多くの人々は、私や夫も含め、何もないところから出発しました。 しかし一生懸命に努力し良い教育を受ければ、すべては可能になります。大統領にだってなれるのです。これこそがアメリカンドリームのすべてではないでしょうか。

あなたは信仰心の厚い人ですか。宗教の多様性もアメリカの素晴らしい伝統です。実際、最初に人々がこの国に来たのは自由に崇拝をするためでした。そして、イスラム教徒、クリスチャン、ユダヤ教徒ヒンズー教徒、シク教徒……あなたの信仰が何であっても、こうした宗教は私たちの若者に正義、思いやり、誠実であることを教えています。若者たちには誇りをもってそうした価値観を学び、実践してほしいと思います。分かりますか、私たちの素晴らしい多様性、つまり宗教、肌の色、信条といった多様性は、私たちを脅かすものではなく、今の私たちを形作るものなのです。そしてここにいる若者たち、そしてその他の若者たちに、「あなたに価値がない」とか「アメリカには居場所がない」と感じさせることがないようにしてください。そんなことは絶対ありません。みなさんには、そのままの自分でいる権利があります。

しかし、はっきりさせておきたいことがあります。この権利はあなたにただ手渡されるものではありません。むしろ、あなたはこの権利を日々獲得していかなければなりません。自由はあって当たり前ではありません。 あなた方の前の世代と同じように、こうした自由を維持し、守るために自分の責任を果たさねばなりません。そしてそれは若い時に、今この時に始まります。

私たちの国際的な対話に加わるために、今、自分自身で準備する必要があります。情報に通じ、国民として奉仕し、先導し、私たちの誇るアメリカの価値観を擁護し、日々の生活の中でそれを尊重する心構えが必要です。そしてそのためには、考え得る限り最高の教育を受け、自分をはっきりと表現できるようにしないといけません。そうすれば良い仕事に就き、自分と家族を養い、地域社会の中で前向きな力となれるでしょう。

そして困難に直面するとき……保証しますが、必ずあります。多くの人はすでに経験済みでしょう。そんな時ももがき苦しみ、あきらめようかと考え始めたら、約10年前、私と夫がこの道を歩き始めた頃に話し合っていたことを覚えていて欲しいのです。ホワイトハウスで、そして生活の中での一瞬一瞬に支えとなっていたもの、それは希望の力です。努力し、闘い続ければ状況は良くなるという可能性を信じることです。

希望の力は、私たちの根幹となる信念です。私たち自身の生活、またこの国の生活の中で直面する疑念や不和、怒りや恐怖の声を克服することができました。 十分に努力し、自分を信じるなら、どんなことであっても自分が夢見るものになれる、という希望があります。他人が私たちに設けた限界には左右されません。そして私たちの本来の姿を確かめようとするとき、もしかすると、なりうる限りの最高の自分に上り詰めようと突き動かされる、という希望があります。

それこそが、カイラのような学生たちの希望です。彼らは自分の才能を発見し、世界にシェアしようと奮闘しています。それが、テリーやこの壇上にいる人たちスクールカウンセラーの希望です。彼らはそのような生徒たちを一歩一歩その道へと導き、若者を誰一人として見限ることなどありません。それは私の世代の、私の父親世代の人々の希望です。父は毎日起きて市の浄水処理場に仕事に行きました。いつか、自分の子供たちが大学へ行き、彼自身が決して得られなかった機会を得られるという希望があったのです。

それは私たちの誰もが……政治家たちも、親も、説教師たちも、私たちすべてが若者たちに与えなければならない希望なのです。希望こそが、この国を日々進歩させるからです。未来への希望と、希望が生み出す懸命な努力によって進歩するのです。

これがファーストレディとして、若者たちへの最後のメッセージです。シンプルでしょう。若者たちには、自分たちが大切な存在で、居場所があることを知ってほしいのです。ですから、怖がらないでください。聞こえますか、若者のみなさん? 恐れないでください。打ち込みましょう。強い意志を持ちましょう。希望にあふれてください。力をつけましょう。良い教育によって力をつけ、外に出て、その教育を、あなたの果てしない希望にふさわしい国を築くのに使いましょう。希望に導かれ、決して恐れないでください。私はみなさんと共にいて応援しています。私は残りの人生、みなさんをサポートするために働くことを、知っておいてください。」

www.huffingtonpost.jp

 

 

「若者たちには、自分たちが大切な存在で、居場所があることを知ってほしいのです。ですから、怖がらないでください。聞こえますか、若者のみなさん? 恐れないでください。」

慈悲深い演説だと思います。私は、この演説を聞いて、ミシェル・オバマさんは尊敬すべき女性の一人だと感じました。

そして、今日の聖句にある「慈悲」「ゆるし(寛容)」「与えること」を実践されている方だと感じました。

 

というのも、ミシェル・オバマさんは演説の中でこうおっしゃっています。

宗教は私たちの若者に正義、思いやり、誠実であることを教えています。若者たちには誇りをもってそうした価値観を学び、実践してほしいと思います。分かりますか、私たちの素晴らしい多様性、つまり宗教、肌の色、信条といった多様性は、私たちを脅かすものではなく、今の私たちを形作るものなのです。」

「そしてここにいる若者たち、そしてその他の若者たちに、「あなたに価値がない」とか「アメリカには居場所がない」と感じさせることがないようにしてください。そんなことは絶対ありません。みなさんには、そのままの自分でいる権利があります。」

 

ミシェルさんは、「宗教、肌の色、信条(価値観)の違いによって、人をさばき罪に定める(迫害する)のはやめ、あらゆる違いに「寛容であり」、「価値」「居場所」を与えるべきだ。そのように行動してほしい」と訴えているのだと思います。

 

「6:37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」

 

ここで挙げられている「人が人を裁き、罪に定め、侮辱し蔑ろにすることをやめて、他者に寛容であれ」という精神を、ミシェルさんはお持ちなのではないでしょうか。

私は、この、ルカ6章37節の「ゆるしてやれ」というみ言葉は、「寛容であれ」という意味でもあると、解釈しています。

 

「6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。」

 

「情けは人の為ならず」ということだと思います。聖書では、違う箇所でも似た表現が出てきます。(「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」(マタイの福音書 7章12節))

ミシェルさんは、演説で、「寛容であること(思いやり)」「希望を持つこと」「感謝」などを、「与えて」います。

おそらく、アメリカの若者たち(ミレニアル世代(アメリカ版さとり世代))は、この言葉に、「与え」返すのではないでしょうか。そこに、現代の社会的な情勢不安の中にも一筋の希望を垣間見ることができるのではないでしょうか。

アメリカだけでなく、日本でも、「慈悲」「ゆるし(多様性への寛容)」「与えること(感謝を伝えることや、寄付など)」を大切に想う人が、一人でも多く増え、そのことによって、「心から笑える人が一人でも増えること」を祈ってやみません。

 

www.huffingtonpost.jp

www.glocallife.net

 

 

祈り

主よ、今日もあなたが、友人との良い時間を与えてくださったこと、感謝します。心の交流が私を支えている事を、日々感じています。その中で、先日、身近な人とうまくコミュニケーションが取れず、行き違いが起こってしまうことがありました。誤解を解くには至ったのですが、お互いの心に小さな傷を生んでしまいました。どうか、今後私が、悲しみを人の心に置くことがありませんように。悲しみのあるところに喜びを置くことができますように。あなたの御力によって、そう在れますように。今日は何故か、上手く気持ちを文字に起こすことができません。これ以上書く事が難しいです。ですが、私が、私の想いを人に伝えることができ、そのことが誰かの喜びとなりますように。悲しみを与えることは、最小限でありますように。主イエス・キリストの御名によって、この祈り、御前にお捧げ致します。アーメン(そのとおりでありますように)