死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

生き方、子を持つことについて / ツイッター備忘録

こんにちは。

少し間が開いた更新になってしまいました。

教会関係の集まりに2泊3日で参加していました。

 

今回も、ツイッターからの引用なのですが、また明日からはもう少し分量のある内容の記事を書いていけたらな、と思います。

 

 

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チラッとキモくて金の無いおっさん話が出たので、ついでに。俺は自分のことをそれなりに社会的弱者だと思ってるけど。自分よりしんどい思いをしながら日々生きてる人も当然居るだろうことも想像はしている。

で、その中で「世の中にはもっと辛い思いをしている人が居るんだから、俺なんて」みたいな考え方には意味が無い、と思っている。俺が自分のことを「弱者」と思っていて、時折「虐げられている」と感じていることに嘘はないからだ。そこを自分で否定する必要は無い。

しんどみ、境遇の困難さを相対的に判断して「自分は大したことない」と結論付けると言うことは、自分から見て『相対的に自分より楽な境遇だと感じた相手』を軽んじることになるからだ。俺には俺ののっぴきならない苦労が、その人にはその人の如何ともしがたい苦労がある。

皆しんどいのだ。それを「お前は男だから」「女だから」「お前はモテだから」「リア充だから」「既婚者だから」「お前は白人だから」「高額納税者だから」と相対ランクを付けて、相手のしんどみを否定することには意味が無い。

そう言う相対的しんどみランキングに相手を乗っけた時点で、自分も別の誰かにランキングに乗せられて、己の代え難いしんどさを「お前の苦労などたかが知れている」と否定されることになる。どんな状況の者だろうと上には上が居るし、下には下が居るのだから。

「俺はキモくて金の無いおっさんだから辛いし、あんたは女だから辛い。お互い、もっと生き易い世の中になったらいいですね。作っていけたらいいですね」くらいのスタンスをね、大事にしていきたい。自分の苦しみは自分だけのものなんだから。だからこそ、他人の苦しみも尊重しないと。

猫柳墓場@NM_amidaさん

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いくつもの暖かい出会いに感謝します。

今悩み苦しみ悲しみを抱えている人のもとに、安らぎと慈しみがありますように。