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現代日本で聖書を読む意味

希死念慮持ち。内容は個人的解釈です。気持ちに余裕がある時に更新します。

「死をどう生きたか」 - 生涯公務に奔走した高橋敏雄さんと、付添い婦の桑原末子さんとの手記

本紹介 日常(カフェや本、音楽、映画など) 希死念慮 聖書通読と解釈

こんにちは。

少しずつ読み進めています「死をどう生きたか」の中で、今日は特別うつくしいと思うと同時に、僕の想いと重なる部分があった箇所を、かなり長いですが、引用したいと思います。

hitsuji-wwjd.hatenablog.com

 

「死をどう生きたか_私の心に残る人々_」日野原重明先生著、p111から引用いたします。とても長いですが、この部分を全部引用したくなるほどに、僕はこの手記のうつくしさと人の心の交流に心打たれました。

 

注釈)高橋敏雄さんは、東京帝国大学を卒業した後、内務省宮内省、厚生省などで働かれた方で、逝去の2週間前までは無宗教だった方です。桑原末子さんは、目が見えづらくなり、身体の自由も利きづらくなっていた高橋さんの最後を付添いお世話された付添い婦で、クリスチャンの方です。

 

(以下、「死をどう生きたか_私の心に残る人々_」日野原重明先生著、p110から引用)---------------------------------

高橋さんが受洗されたきっかけについては、節夫人は私との人間的な交りのためといわれていたが、お宅や病院で世話をされた付添い婦の桑原末子さんの影響が大きかったことが、死後一年たって出された高橋敏雄さんの追悼録にかかげられた「看護覚え書」と題する、桑原末子さんの手記によってわかった。次の文がその内容である。

「桑ちゃん、私(高橋さん自身のこと)は前から一度聞いてみたいと思っていることがあるんだよ」

「なんでしょうか。私にお答えできることでしたらよいのですが」

「僕は、桑ちゃんをつくづく見てきて思うのだけれども、毎日毎日、家事いっさいをくるくるやって、病人の世話から庭の草花の手入れ、猫や犬や、みんなあなたの手をとることばかりつづいているのに、一日も休みもせず、外出するでもなく、疲れもみせず、ぐちもいわず、毎日明るくすごしているのには、なにか秘密でもあるのだろうか。一度あなたとゆっくり話してみたいと思っていたんだよ」

「あら、秘密なんてとんでもありませんわ」

「いや、これは真剣で、真面目な質問なんだよ。近頃考えているのだけれど、人が生きるというのは、なにか目的があって、そのことのために生きる人生なら最高にしあわせなんだね。桑ちゃんを見ているとそんな気がするよ。とくに、これこれと話をしたわけでないが、毎日の生活を見ていると、明るくて、なにかに支えられて、だれかといっしょにたのしんで仕事をやっているように見えるよ。なにごとにも耐えてゆけそうなところなど、うらやましいほどだ。僕にもすこしわけてもらいたいと思うよ」

「なにもわからないけれども、幼な子のように素直に十字架の救いだけを信じて、主の御手にゆだねきって生きるだけなんですよ」

「それなんだよ。どうしたらそういう気持になれるのか、そればかりこのごろ考えるようになったんだよ。それでね、いまからではおそすぎるかもしれないが、僕の理解できるところまで究めつくしてみたいと思うのだ。どうしたら神を知ることができるのだろうか。たのむからすこしずつ教えてくれないか」

「はい、私ではなにもできませんが、ごいっしょに聖書をすこしずつお読みいたしましょう」

「ううん、たのむよ。それから、ミレーの絵で、農夫が夕べの祈りをしているのがあるでしょう。あの敬虔な祈りの姿に心をひかれるから、ぜひあの絵を買ってきて部屋にかけてくれ」

私は、だんな様に神様の導きと祝福を祈りつつ、静かに寝についた。

 

その後数ヶ月、私たちは聖書を少しずつ読んですごした。ある日、だんな様は、悲しみをこめて話しかけられた。

「桑ちゃん、おれはこのごろとても淋しいんだ。なんともいいようがないが、とても淋しくて不安だ。いてもたってもいられない気持だよ。ひょっとすると、僕は気がくるうかもしれないよ、どうにかして生きている意義を知りたい。いま死ということに真剣にとりくむ必要を感じだしたんだ。どうしたらよいのか、どうしたら神を知ることができるのだろう。このあいだから思っているのだが、人間の業とはなんだろうか。あきらめというか、悟りという言葉を正確に自分のものにしたいから、しらべてみてくれたまえ。なんとかしてこの不安な気持からぬけだしたい。もし病気で死ぬことになったとき、満足とまではいかなくても、なんとか自分で納得して、生きてきた意義をつかんでから死にたいと思うよ。体中が痛んで苦しいし、不安だし、できるならなにか絶対的な力にすがりたいよ

「そうですか。そうでしたら私どもの教会の長老で林道夫さんという方ですが、長いあいだ病床で苦痛と戦いながら、なお主の愛を証され、病気を神様にゆだね、み言葉をとりついでいらっしゃる方がありますよ。聖路加病院に入院していらっしゃるのですが、看護婦さんがその明るい闘病におどろいているそうです。一度お便りでもさしあげて、その明るさを教えていただきましょうか」

「うん、ぜひたのむよ。できるならばキリスト教のイロハから教えてもらいたいよ」

「はい、私が洗礼を受けたとき、とても喜んでくださった方で、安田銀行につとめた方です」

「ほう、ぜひ教えを受けたいね」

「短歌もよくなさる方だそうですから、そのほうからもよい友人になっていただけますよ。この方こそほんとうのクリスチャンと思いますから、ぜひ導いていただきましょう」

「うん、僕はとてもクリスチャンにはなれないかもしれないが、なんとかして一歩でも神の救いに近づきたいよ。もう間に合わないかもしれないけれどね」

「とんでもない、救いとは信ずることなのですよ。信ずるということは、信頼するということ、よりたのむということ、幼児のように素直に神によりかかることです」

「そうかい、でもこれからでは時間がたりなくて、そんなに素直に神を受け入れられないだろう。なんとか元気になって救われたいね」

「大丈夫ですよ。だんな様と大どろぼうをごいっしょにして申訳ないのですが、キリストが十字架につかれるときに、ともに死んだ罪人が、主よ私を覚えてくださいとたのんだ、そのたった一つの言葉、その信頼心をよしとされて、”よくいっておくが、あなたはきょう、わたしといっしょにパラダイスに入るであろう”とおっしゃったほどです。時間にしたら一分か二分。キリストの救いは時間の長短ではありません。信頼することが信仰ですよ」

「そうかい、ぜひたのむから、いろいろ教えてくれ、一歩一歩道を進む心でいるよ。あなたの教会の渡辺牧師にもお便りして、いろいろ教示をたのんでみたいと思うよ」

「はい、お電話して、お願いしてみましょう。きっと喜んでくださいますよ」

 

高橋さんの告白

このような会話のあったあと、何日かして、高橋さんと桑原さんとのあいだには次の言葉が交わされたことを、桑原さんは、彼女の所属する中野教会の月報「証人」に寄稿している。

「私(高橋さん自身のこと)も長いこと、いろいろの仕事をしてきたけれども、今こうして病床で思い出してみると、何一つ満足できることはしてこなかった。私は何のために生まれて生活して来たのだろうか。こうして静かに、過ごして来た人生を思い出してみると、みんな利己のために、せっかくの肉体をいたずらに消耗して来たように思われて淋しいよ。生涯を顧みて、これといって何一つよいことは出来なかった。それどころか、とりかえしのつかない罪を犯したということを思うとたまらない。仕事の上でいろいろ自分の意思に反して、国家的見地と官吏という立場から、多くの罪を犯して来た事も反省しているのだ。特に島田君にはすまないと思って、今でも遺族に申し開きができないのだよ。昭和二十年私が人事課長の時、もちろん私個人の意思でなく、上司の命令だったが直接には、私が数ヶ月後には死なねばならぬ任地であることを充分知りながら、最後の沖縄県知事として、島田君に発令したのだよ。まるで死んでくれといったのも同然だったが、”命令ならば受けます。どうしても誰かが行かねばならないとすれば、私が”と言って赴任してくれたのだ。僕はつらくてとても苦しんだ。死にに行けと命令を下したんだから。いろいろ考えると、自分の生きているのが申訳ないのだよ。多くの人のぎせいによって、今の私は生かされているのだから、そのことから考えても、真実を探り出して、より正しく生きねば皆に申しわけないのだよ。しかし、今度病気をしたことによって、自分の進むべき道がみつかりそうです。病気という近道をして、神様の救いにあずかれると思うよ。今迄は仕事がいそがしくて、庭の木々や草花に目をくばる心の余裕がなかったけれど、病気をしてとくしたことのひとつは草花の美しさを通して、そのたくましい生命力にはげまされ、おどろかされ、人間の力の及ばぬ世界があることを教えられ、花を見ながら、よろこびが溢れるのを覚えることですよ。今まで西洋音楽など大きらいだったのに、私が眠れない時、桑ちゃんが、ステレオで聞かせてくれるシューマン、バッハ、ベートーベン。トロイメライ、アベマリア、オラトリオ、など。理解できないものが多いが、私が知らない大きな世界がいくらでも広がっている。私が知らなかっただけで、自分を超えた大きな力がいくらでも広がっている。なぜもっと早く心を開かなかったのだろうかと思い残念でたまらないよ

「そうですか、いつか私と庭仕事をして、枯れたランの植木の鉢を五、六個、うら庭にかたづけた時、新しい生命のいぶきにおどろかれたことがありましたね、そして二人で何かの歌をつくったでしょう」

「そうそう、そんな事があったね。あの歌はどのようだったかな。

  枯れはてし ランを鉢より取り出せば 思ひかけずも 新芽ふきをり

 というものだったと思うが、桑ちゃんのは、最後が”神の声きく”といったようだったね。私がうっかり枯らしてしまったランの鉢にも、ゆずり葉のように新しい命が生きている。そこに神の摂理を見るという意味を含んだ歌だったように思うよ。僕は桑ちゃんのように信仰を持っていないから、神の声とは気がつかなかったね」

(このあとに、桑原さんがたまたま同席してメモした高橋さんと水池亮氏との会話の記録がつづく。水池さんは高橋さんとは一高、東大の同級生、内務省も同期生で、無二の親友。)

「よう、水池君。よく来てくれた。もっとよく顔を見せてくれ」(だんだん視力がおとろえてきた)

「どうしたんだい、高橋。おれはここにいるぞ」

「水池君、君に話しておかなければならないことがあるのだよ。それは、今度キリスト教を信ずることにしたよ。いろいろ君も知っている通り、ずいぶん苦しんだんだよ。そうだなぁ、純粋な気持になって生命の糧として聖書を学び、これだと確信がもてたから信仰にふみきったよ。一切を神にゆだねるよ。心の底からキリストにひきつけられたよ。考えてみると、自分は何のために生きて来たのか、自分の人生はつまらないものだった。何一つよいこともできなかったね」

「そんなことはないぞ。君は日常、他人の陰口をいっさい口にしなかったろう。それは厳しいほど僕の心をうったよ。君は他人の短所をいわず、自分の長所も語らぬ人間だった。人にいやみを感じさせない積極性をもって仕事に打ち込む。君はすばらしかったよ」

「なあに、心の悩みは自分だけのもので、自分にしかわからないものさ」

「そうかい」

「今はね、真実が何かはっきりわかったから、神に己れの生と死をすべてゆだねるよ。人間に一番必要なものは何かということがわかったよ」

 

高橋さんの受洗

高橋家の宗旨は仏教であったが、高橋さんは仏教はむつかしくてわからないといわれていた。また以前に、宮内省勤務となったときには、神道を勉強されたという話も聞いたことがある。その高橋さんが洗礼をうけられることになったのであるが、昭和四十二年十月二十九日の受洗のあと、節夫人とのあいだの会話を、桑原さんはこう書いている。

 

「桑ちゃん、前からそういってたから、私(節夫人)もパパはその頃に受洗するかと思っていたのよ」

「きっと日野原先生が病気を見ていて、洗礼を受ける日を早められたのかも知れませんから、これからは、ゆだんなく、一生懸命に看病しなければいけませんね」

「そうね、パパがいつも、永遠の生命に間に合うことを気にしていたから、いそいでしていただいてよかったのでしょう。先生が一ばん良い日を選んで下さったのでしょう」

「はじめに日野原先生の所属の教会の田口牧師がお祈りして下さって、聖書のヨハネ福音書三章十六節を読んで下さって、洗礼を受けたの。パパはとても喜んで、その洗礼盤を手に受けて、しばらくなででみていたのよ、そして”これで僕も、ほんとうの神の子になったのですね”と何度も田口牧師に念をおして、あいづちをもとめてました。そして涙で目が見えないから、私に涙をふいてくれと言ってね、日野原先生が”さあ、永遠の命につながりましたよ。私と兄弟になりましたよ”といわれると、”よかったよかった。こんな良い日を迎える事が出来て、やっぱり生きていてよかった。桑ちゃんが来たら、新しい讃美歌をならうぞ”と言って眠ってしまったの」

「そうですか、大事な時にいなくてすみません」

「いいえ、あなたには九月以来無理ばかりしてもらってるから、すこしずつパパが落ち着いたので、日曜日の半日ぐらい私がかわろうと思ったのよ。だけど急に呼び出して、かえってわるかったわ、あっお目が覚めましたよ」

「だんな様、受洗おめでとうございます」

「ありがとう。桑ちゃんが帰って来たのなら、もう安心だ。洗礼を受けさせてもらったよ。みんなあなたのおかげだよ。あらためてお礼を言うよ。これからもよろしく頼むよ。なにも知らないから、1つずつ教えておくれ。お祈りの仕方もわからなくてはならないし」

「はい、少しずつ、ごいっしょに学んでまいりましょう」

「ほんとうに頼むよ。何しろ今日生れたばかりの赤ん坊だからね」

受洗の喜びと、新しい生命を与えられたという喜びがいっぱいで、高橋様は夜になっても眠ることができず、いろいろの抱負を夜おそくまで語られておりました。

・・・・・・

「桑ちゃんの顔がよく見えないのだけれど、どうしたんだろう、私はもう死んでしまったのか、たのむからもう一度見えるようにしておくれ、今は朝かな夕かな、何時ですか」

「ハイ、今は夜中で真暗なのですよ。暗いから見えないのですよ。安心してお休み下さい。朝になったらきっとゆり起こしますから、安心してねてください」

「そうか、そんならよいが、何も見えなくなったと思ったよ。じゃあ大丈夫だね。神様はいるんだものね」

「ハイ、そうですよ」

「枕の下に林さんのハガキがあったね。もし僕が天国へ先に行くようになったら、林さんに、あとから来て先に行くのはすまないと伝えておくれ」

「ハイ、きっとつたえます。そんなこと、お考えにならず、静かにやすみましょう」

「うん、そうするよ。右のほうに向けてくれないか」

「ハイ」

「桑ちゃん、いろいろありがとうよ、なにもしてあげられなくてすまなかったね」

・・・・・・

それから二時間ぐらい静かに眠ったまま、自然にといって良い程やすらかに召天されました。受洗十七日後、夕日が少しずつ山の端に沈むのと同じように、静かに、安らかに召天されました。

(引用終わり。「死をどう生きたか_私の心に残る人々_」真摯に生き抜いた高橋敏雄さん)---------------------------------

 

 

「”高橋さんが受洗されたときに読まれた箇所”

ヨハネによる福音書第三章十六節

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

_次の記事で、僕が「死をどう生きたか_私の心に残る人々_」から、この箇所を引用した理由を書いていきたいと思います。