死にたい気持ち、生きる意味について考察

希死念慮持ち。内容は個人的思想です。気持ちに余裕がある時に更新します。

ひつじ(hitsuji-wwjd)の自己紹介

こんにちは。ひつじ(hitsuji-wwjd)と申します。

昨年(大学卒業後、前職で7ヶ月ほど正社員やっていた頃)くらいから、いばや通信さん、A1理論さん、glocal lifeさん、高坂勝さん、ニャートさんのブログや、phaさん、坂口裕樹さん、駒崎弘樹さん、リンダ・グラットンさん、深爪さんの本を読みはじめ、「社会的多数派の"常識"」から解放されて生きていくことに勇気を与えてもらい、自分でも何かしらの情報発信をすることで、似たような苦しみを抱えている人に見てもらえたらな、という想いを持ち始めました。それでこのブログを開設することにしました。

まず何故タイトルを「現代日本で聖書を読む意味」にしたかと言いますと、3ヶ月ほど前に仕事を辞めたのですが、そのふんぎりを決心する際に、ブロガーさんや親しい人々だけでなく、通っていた教会も大きな心の支えとなったからです。

とかく日本では宗教が猜疑心を持って見られがちですが、「生きていく上で宗教が持つ意味とは」「宗教が何故、日本以外では重要視されているのか」といったことを、大学生まで宗教にほぼ縁がなく、4年前にはじめてキリスト教に深く触れ、1ヶ月程前に洗礼を受けクリスチャンになったばかりの私だからこそ捉えられる視点で、お話していけたらと考えています。

「宗教が心のよりどころ」というと日本では怪しく思われがちですが、私は心のよりどころを現実の人物、物事(例えばお金)に置く方がよほど不安定なものだと感じます。たしかに、宗教の名を騙ってあくどい商売をする人や人の心につけ込む人がいるのは事実です。また、日本では宗教意識が希薄な上にオウム真理教などの新興宗教の暗い事件が大きく印象に残っているという事もあると思います。しかし、当たり前のことですが、宗教というものは本来「万人の幸せ」という目的をもっているものだと思います。それを、「お金儲け」「迫害・差別」「利己的な利益追求」のために用いてしまうと、悪い結果を招いてしまう。つまりは、銃と同じで「扱う人間によって」暗い側面も作れてしまうのが宗教だと思います。

しかし、多くの宗教は教義の中で確固とした道徳を説いています。キリスト教で言えば「隣人を自分のように愛しなさい」に代表されるように、「まず自分を認め愛せるようになった上で、隣人(あらゆる人)を自分と同じ一人の人間として敬い愛しなさい」という道徳観です。このみ言葉ひとつをとっても、日本では実感することが難しい道徳観の一つだと思います。金銭崇拝教、科学(合理性)崇拝教のもと、「金払ってるやつが偉いんだ」「金を効率良く得るためには社員を奴隷が如く働かせるべきだ、死んでも若いやつを安く代わりに雇えばいいだろ」という発想が実現されている。

宗教というのは、キリスト教イスラム教、仏教といったもののことだけを言うのではありません。人間は全て、何かの考えに基づいて行動していると思います。その考えを支えているものが宗教とも呼ばれるのです。つまり、上記の例のような人々は、金銭絶対教、科学(合理性)絶対教の信者だともいえると思うのです。そう考えるとつまり、キリスト教信者は、キリスト教的道徳観を柱として生きているのに対し、金銭絶対教信者は金銭だけを全てのものを測る価値として生きていると捉えられると思います。どちらが危険なのでしょう。人の心を慮って生きている人間。金銭だけを見ている人間。言わずもがなだと私は思います。

もちろん、~~教信者でなくとも、自分の中に確固とした道徳観を持って生きている方もいると思います。しかし、そういった方々が多数派であったら、今のような社会でしょうか。多様性を認めようとせず、妊婦や障碍者でさえ迫害される。思想的少数派はいわんや。

私は現在24歳ですが、心の弱い人間であることを自覚しています。キリスト教に導かれていなければ、30歳まで生きることは難しかったでしょう。兄のように。しかし、クリスチャンだからといってキリスト教が絶対!というつもりは毛頭ありません。キリスト教においても、最重要事項は「身近な人に始まり、世界の人々が心から笑顔で暮らせること」だと考えています。その事を指して、キリスト教を「愛の宗教」というのだと解釈しています。

このブログでは、日課である聖書通読を行う中で、自分なりの解釈を紹介することや、心ある演説の翻訳や解釈を行う事、また日常生活(神学校のこと、ゲストハウスのこと)などについて書いていき、たくさんの人に知ってもらいたいと思っています。

現在牧師を目指しながらゲストハウスで働いており、今後本格的に牧師の勉強をしていく予定なので、私の為にも是非、遠慮なくご相談やご指摘を為さってください。記事の「お問い合わせ(ご相談)」からお願いいたします。

こんな感じですが、どうぞ宜しくお願い致します。

 

ひつじ(hitsuji-wwjd)