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現代日本で聖書を読む意味

希死念慮持ち。内容は個人的解釈です。気持ちに余裕がある時に更新します。

"求めなさい。そうすれば与えられます"マタイによる福音書7章7節

"求めなさい。そうすれば与えられます"
新約聖書マタイによる福音書7章7節

マタイ7:7
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
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こんにちは。
今日はマタイによる福音書から7章7節を引用いたしました。

この箇所はある意味、非常に理解しやすい、み言葉かもしれません。聖書の中には、喩え話が多く出てきます。そのなかには、とても理解の難しい部分があったり、そもそもある程度時代背景を知っていなければわからない部分もでてきます。

しかし今回の聖書箇所は、驚くほどそのままです。
「求めた人には与えられるでしょう。探した人は見つけるでしょう。扉を叩いた人には開かれるでしょう。」
そのままの意味です。

しかし、多くの人が「いやいや、そんな都合よくいったら苦労しないよ」と思うと思います。
ですが、今の時代にこそ、この言葉はとても大事な考え方足りうると、私は思います。

というのは何故かと言いますと、この聖書箇所は「行動することの大切さを説いている」と考えるからです。
もちろん、「私を理解してくれる人が欲しいです」といったら今すぐ与えられるわけではありません。「心開けるコミュニティを捜しています」といえばすぐ与えられるわけではありません。「何かの集いに新しく参加しよう」としても排除されてしまうこともあるでしょう。
しかし「行動」が大切なのです。
自分の心、想いに沿った生き方をしようと思った時に、何をやめて何をすればよいか考え、行動することが大切です。

今の生き方イヤだけど、
仕事やめるとお金がないから...
他にできることないから...
まわりから冷たい目でみられるから...
親にいい顔されないから...
結婚できなくなってしまうから...

動けなくなっているいろんな理由はあると思います。
ですが、「"あなた"は幸せですか?」
もし、今の生き方をしていて、あなたが幸せなら良いのです。ですが、他者の事、他者の目を考えるあまり動けないのなら、「行動」するべきだと思います。
わたしも以前、周りの目やお金を気にして、自分にとっては苦しみでしかない仕事を辞められずにいました。ですが、自分と似ている方のブログを読み漁り、信頼できる友人や大人、似ていると感じたブロガーさんとやり取りし、教会に顔を出す中で、自分の思っていた「まわりの目」という概念が、如何になんの意味もないものか、だんだんとわかってきました。
そのように「行動」することは、自分の中でどんどんと膨らみ捻じ曲がっていく、「常識」や「まわりの目」といった無意味な概念を解きほぐしてくれると思います。もちろん、合わない考えの方と出会うこともあるかもしれません。しかし、今はネット、ブログやsnsのおかげで、自分と考え方、生き方の近い人々を探し、繋がっていくことができます。
今の生き方に苦しんでいる方は、是非なぜ苦しいのか原因を考えながら、あなたと似ている方のブログを探されることをお勧めします。
(参考:私が苦しいとき救いとなったブログ
いばや通信さん
http://ibaya.hatenablog.com
A1理論はミニマリストさん
http://okite.hatenadiary.jp
エリログ(なまけりー)さん
https://namakerie.me

私は、悩みすぎてもはや何にも判断を下せなくなってきていると感じはじめていたとき、上記エリログの中の人、なまけりーさんの
https://namakerie.me/utsu-gattatsusyougai/utsu-warning-top3/
この記事を読んでご本人に連絡し、本当に親身に相談に乗っていただきました。本当に感謝していますし、今でもたまに連絡させていただいています。今年中に一度でもお会いして、直接感謝を伝えられたらな、と思っています。

ちなみに上に挙げた動けない理由について、わたしは以下のように考えています。
仕事を辞めるとお金がないから...、
(お金がなくとも今の日本では餓死することは難しいでしょう。また、バイトもあれば炊き出しもあるでしょう。また、そういうときのために教会などはあると思います。)
他にできることないから...、
(他にできることがない、と思っていても世の中には色んな働き方があります。自分に合うものを正規非正規問わず探してみては如何でしょう。正規非正規なんて括り、自分が幸せに生きることより価値があることとは思えません。)
周りに冷たい目で見られるから...、
(まわり、というのはこれまで繋がってきた人々から構成されています。全く新しい考え方や繋がりをネットで探してみましょう。それができる時代です。)
親に良い顔されないから...、
(親は、あなたではありません。親の幸せな生き方とあなたの幸せな生き方は違います。本当にあなたのことを想うなら、あなたが、"今"幸せに生きることを望むのではないでしょうか。世間体なんて「自分が幸せに生きるため」には不要です。)
結婚できなくなってしまうから...。
(結婚した人はみんな幸せでしょうか?結婚どうこうより、あなたのことを理解してくれ、一緒にいて心地よい人と一緒にいることが幸せではないですか?それが結果として結婚になるならそれはそれで良いと思いますが、結婚や子を持つことは、人生における目的ではないし、目的にしてはいけないと思います。)

これらから、この聖書箇所を現代風&私の経験から解釈するならば、
「(自分を理解してくれる人を)求めなさい。そうすれば(すぐにではないかもしれないけど)与えられます。
(インターネットのブログやsnsで、自分と近い人を)捜しなさい。そうすれば(あなたの居心地の良い場所が)見つかります。
(出会えた人々へ繋がる扉を)たたきなさい。そうすれば(あなたの幸せを見出す道が)開かれます。」
ということだと思います。

結局、人生の目的は「幸せになること」です。
いついかなる時もその事だけは、あなたに、覚えていて欲しいのです。


祈り
主よ、本日はマタイによる福音書7章7節を読みました。私において、友人、家族、恩師の先生方、インターネットでの人との繋がりといった、多くの恵みを、あなたから頂いたように、今、苦しみ悩みの中にある人々の上にも、あなたの恵みと慈しみをお与えください。また、わたしがそういった方々に寄り添い、どれだけ微少であっても、力になれる存在となることができますように。私の心を強め、あなたの平和のためにお使いください。今日より明日、明日より明後日、一人でも多くの人が心から笑えますように。私に与えてくださった恵みを、以前の私のように苦しむ方、またそれぞれの悩み苦しみ悲しみを抱える方の、一人でも多くの方に同様にお与えください。
闇のあるところに、あなたの光を置かせてください。悲しみのあるところに、喜びを置かせてください。また、そうすることのできる者に、どうぞあなたのお力によって、成ることができますように。
この祈りをわたしたちの主イエス・キリストの御名を通して、御前にお捧げ致します。アーメン(そのとおりになりますように)。